ここは、今にも雨が降り出しそうで、久しぶりのバカでかい空港。通路が
迷路のようである。街の中心地の塔(モナス:上左2枚の写真)
近くまでリムジン・バスで行くが、一見大都会だが・・・
ちょっと離れれば、水浸しでボロボロ家がギュウギュウに
つまっているいわゆるスラム街で、とてもじゃないが清潔とはいえない。
そしてバスで、でかい街の駅前で降り3輪車(バジャイ:写真右)でユース・
ホステルに行き、一旦荷物を置き大使館横のJICAへ、JAL Officeは、
遠い為バスで向かう。めちゃくちゃな交通量で4車線に車、バイク、バスで溢れている。
JALでは、マニラから10、11日と満席で結局9日は一席空いているとの事。
再びバスで戻り、JICA Officeで少し待たされJOCV担当者に帰国日が早くなることを
東京に伝えてもらう。(が、連絡されてなかった。。。)
その後、昼飯を食べ、Y.H.に戻りスリに遭った日本人と話したりしたが、いくら安いY.H.
共用トイレの汚れは、最悪。
1989年
2月8日(水)曇〜ジャカルタ(インドネシア)→マニラ(フィリピン)
途中何回か目覚めたりであまりよく眠れなかったが、3時過ぎ起床、久しぶりに
(2年2ヶ月以上か)しゃがみトイレ(臭い!)で落ち着かず何とか済ませ・・・・で日記は
終わっているが、まさか翌年の1990年の12月に再びここインドネシアに来る事になるとは
思ってもいなかったのである。
壁写真は、当事のジャカルタ、Jl. Thamrin?かSudirmanでまだ、それ程の交通量では無かった。
一応、フィリピン(マニラ)へ