首都アピアから東へバスで約1時間、そこから車に乗せてもらうか、歩いて下らないと一人の生徒のある村には行 けなかった。水力発電器のある滝があるのに電気・水道は通っていなく、トイレは、海へ落とす自然循環型であっ たが、紙は学校で使用済みのノートを使用していた。 また、今までサモアでは、私達日本人はSaina(中国人)かSapani(日本人)と呼ばれていたが、ここの子供達には Palagi(白人)であった。