ウジュン・パンダン(マカッサル) Ujung Pandang(Makassar)

上段左から:
Lagaligo博物館の全容であるが、敷地内にスラウェシ島内陸部で発見された巨石像
があり、レリーフにも当時の模様が描かれてある。
ロッテルダム要塞(benteng)の一部が右の写真だと思う。

下段左は、南スラウェシ州民族分布図であるが、黄色の部分はマカッサル人の居住
地になるだろうが、今ではグレー色のブギス人も少なからず居住しているだろう。

赤色のサダン・トラジャ人は古マレー人とされているが、ブギス人と挟まれた青色部
のマセンゲンプル(Massengempulu)人の存在は知らなかったが、私が素人ながら
言語上推定したポリネシア人の祖語パロポ(Palopo)辺りは、トラジャ人の居住地に
接近した新マレー人とされるブギス人がボネ湾沿岸部だけにしか侵蝕していない。
その事を考えるとトラジャ語族がポリネシア祖語かもしれない。

緑色の地域は、マンダル人居住地であるが、この2005年5月に日本の冒険家、山本
良行さんとオーストロネシア語の起源地域とされる台湾の「人類文明探索協会」の
人類学研究者らがアウトリガー・ボートで冒険航海に船を造船し、冒険航海に出た所
である。
言語学者によるとカリマンタン(ボルネオ)島南東部マーニャン語が西インドネシアの
起源としている事から向かい海岸のこの地域への言葉の伝播が簡単に考えられる。

残り2枚はウジュン・パンダン(マカッサル)市の西海岸である。