スカルノの墓(Makam Soekarno)

ブリタール市内にある今でもスカルノ信奉者
が団体観光バスなどで訪れ賑わっている。

オランダ植民地時代の民族主義運動指導
者で現在のインドネシア最高学府の一つ、
バンドゥン工科大学(ITB)を卒業後、政治
活動に傾倒していく。
インドネシア国民党(PNI)を結成したが、
植民地政府による投獄、流刑されたが日本
軍政時に開放され、第2次世界大戦敗戦後
の1945年8月17日、ハッタと共に独立宣言
に署名し、初代インドネシア大統領となる。

民衆を魅了する、すばらしい演説力を持ち、
庶民の強い支持を得ていたようだ。

周知のように4人の妻を持ち、その一人が、
日本人である通称「デヴィ・スカルノ」であ
り、第5代大統領には、第一婦人の長女の
スハルト時代からインドネシア民主党代表
として活動していたメガワティが2001年7月
に親の代わりに復権することになる。

スカルノ本人は、ボゴールのイスタナ宮殿に
軟禁時より当地に葬ってほしかったようだが
幼少期に祖母に育ててもらったここBlitarに
スハルトに墓所が作られた。

上の写真は、ブリタール(Blitar)の当時の市場兼乗合いバス
集積場。